連載
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ひとはなぜ食べるか?
倒産する出版社に就職する方法・第69回
3マス戻ります。
突然ですが、連載第65回に戻ります。あなたのせいではありません。「3マス戻る」のマスに停まったから仕方ないのです。人生にはそういうこともあります。気にしないでください。で、「人は食べなくても生きられる」と宣言した山田鷹夫氏との新潟県での打ち合わせシーンです。2004年です。
「食べない」とはいったい、どの程度食べないのか。これから『人は食べなくても生きられる』と宣言する本を作るにあたって肝要なポイントです。
山田氏は、コーヒーもビールも飲むし、アイスだって食べると白状しているのです。具体的にどの程度食べ、あるいは食べないかを詰めないことには話は始まりません。
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新聞広告を考える
倒産する出版社に就職する方法・第68回
こんな反響があるとは思いませんでした。
7月30日に、新刊『交通誘導員ヨレヨレ日記』という本の新聞広告をやりまして。
一面の下に書籍広告が8本の並んでいるスペースがありますよね。あれをサンヤツ(3段8ツ割)といいます。読売新聞にサンヤツ広告したんです。
新聞広告自体はサンヤツも半五段も何回かやっているので、三五館シンシャにとってもそれほど珍しいことではありません。ただ、その反応が思ってもみないものだったのです。
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美しい風景
倒産する出版社に就職する方法・第67回
新潟県十日町で開催される「藤原ひろのぶ×ほう×EARTHおじさん個展講演会」開催直前、著者のほう氏から不安げなLINEメッセージを受け取った私は、開催2日目、十日町に赴きました。
東京駅から新幹線で越後湯沢まで1時間半、そこから北越急行ほくほく線に乗り換え30分の道のり。十日町駅です。
道も不案内な上、小雨も降っていたため、私は駅前からタクシーに乗車して、個展講演会場「十日町産業文化発信館イコテ」へ向かってくれるように伝えました。「歩いてもすぐですよ」と教えてくれた、きっと地元の人であろう親切そうな運転手さんに「荷物も多いので」と伝えて、後部座席に座ります。「さっきまでひどい土砂降りだったんですよ」「そうですか。このままやんでくれるといいんですけどね」「でも今日は一日中降るみたいですよ」なんて世間話を交わしているうちに、わずか2~3分で道路の左手に施設が見えてきました。
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imagine
倒産する出版社に就職する方法・第66回
すみません。ちょっとタイムスリップさせていただきます。今から15年前、2004年を描いていた連載第65回から、一気に2019年7月にタイムスリップします。現在に帰るのです。現在に帰って、どうしてもみなさんにお伝えしたいことがあるからです。少々きついGがかかるかと思いますが、鼻つまんで耳から空気抜いてください。気分が悪くなった方はキャビンアテンダントまで。さあ、急降下、不時着します。場所はそのまま変わらず、新潟県十日町近辺です。
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それホントやったんか?
倒産する出版社に就職する方法・第65回
その1時間ほどのち、われわれ二人は施設の喫茶スペースにおいて、互いにほんのり上気した顔で向かい合っていました。(温泉施設でいったい何があったか……みなさんのご想像におまかせすることにしましょう)
さて、ここからがいよいよ本題です。
私は温泉に入りに新潟まで来ているのではありません。原稿の修正依頼をして、手直しに入ってもらわなければなりません。
そして改稿をしてもらう上で避けて通ることのできないテーマがあります。それは私が初めて「人は食べなくても生きられる」と宣言されたこの原稿を読んだときから感じていた疑問でもあります。
で、それホントやったんか?
原稿をいくら読んでも、その部分ははっきりと描かれてはいないのです。
3年前から不食実験を開始した、とは書いてあります。肉類・砂糖・油を避けた、とは書いてあります。不食を続け「不食ハイ」と名付けた快感を得られるようになった、とは書いてあります。腐ったマグロを食べる腐食実験を行なった、とは書いてあります。ついでに言うと、セックスは2年以上やっていなくて、マスターベーションはたまにやる、とは書いてあります。
そこまで書いてんのに、具体的にいつからいつまでの期間、どのくらい食べなかったのか(あるいは食べたのか)が書かれていないのです。いや、マスターベーションの頻度は書かんでいいから、不食やったか書けや。
私はたったひとつの質問をぶつけに、はるばる新潟までやってきたと言ってもいいかもしれません。一緒に温泉にも入った仲だし、もうよい頃合いでしょう。さあ、思いきって聞いてしまいましょう。
「で、山田さん、不食って実際にやられたわけですよね?」
「おお、やったよ」
慌ても動揺も、表情にいっさいの揺らぎがありません。少なくとも私には嘘をついている人間の顔には見えないのです。
「食べないっていうのは、どのくらい食べないんですか? 固形物はいっさいとらないわけですか? 水も飲まないんでしょうか?」
「コーヒーは飲む」
……。
そ、そうですか。食べなくても生きられるというから、霞食ってる、なんか仙人みたいなのを想像していましたが、コーヒーは飲むんですね……。まあ、いいでしょう。コーヒーなんてカロリー全然ないわけですから。水みたいなもんですから。コーヒーだけで生きている人間なんて、常識を覆すとんでもない存在ですもの。コーヒーで生きるって、こりゃすごいことだ。
「あと、ビールもたまに飲む」
……。
「あっ、あと、たまにアイスクリームも」
そ、そうですか。ア、アイスは流動物ですからね。融けきっちゃえばもう完全に水なわけで。ええ、ギリギリセーフということで。ビデオ判定は無しで。ああ、ギリギリセーフだったぁ……で、こ、固形物はとってないんですよね。さすがに。
「でも固形物はほとんどとってないね」
ほとんど……。
私は「ほとんど」と「いっさい」の間に横たわる広大無辺たる大河に思いを馳せるのです。ああ、あらゆる疑念をも飲み込む悠久なる水の流れ。いっそのこと、もうわれわれ二人の存在ごと飲み込んではくれないものか……。
「ほとんどっていうのは具体的にどのくらいなんですか? 1日にレタスの葉っぱ一枚なのか、玄米一口なのか、間食的にお菓子を少しだけ食べているのか。平均して1日あたりに食べているものの分量はどのくらいで、その品目っていったいなんなんですか?」
思わず詰問調になってしまう私。なんだか取調室の尋問みたいになってきました。
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秘密の儀式
倒産する出版社に就職する方法・第64回
「おっ、おお。これな。これ、ちょっと事故ってなあ……」
ちょっと事故った。。。
さすがにメガネの破損は精神的ショックにより引き起こされたわけではなく、物理的な接触によるものだったようです。それにしてもメガネがこれほど芸術的に破損する事故とはいったい……?
メガネのヒビの原因はもちろん、亀裂に覆い尽くされ視界がほぼゼロであろう左レンズをそのままにしているのも気になります。
しかし、そんなことに頓着しないのか、はたまた触れてほしくないことなのか、山田氏はメガネの亀裂についてそれ以上語ろうとはしません。
それ以上語らないのを無理に掘り下げるわけにもいきますまい。なにしろ著者と私とは10秒前に出会ったばかりなのですから。
そしてなによりも、私は『人は食べなくても生きられる』の10月刊行に向けて、現状の原稿を著者納得の上で大幅に修正してもらう、という使命を帯びているのです。著者との関係性を良好に保つに越したことはありません。
「打ち合わせ前に、ちょっとやりたいことがあんだ」
改稿依頼を意気込む私を見透かしたかのように、山田氏はそう言って、駅前の駐車場に停めていた軽自動車まで案内してくれました。
打ち合わせ前にやりたいこと?
……なんでしょうか。気になります。
さすがにこれは聞いてもいいような気がしましたが、私はとりあえず行けばわかるだろうと何も問わず、ずいぶんと年数を経た軽自動車の助手席に身をゆだねることにしました。
十数分走ったでしょうか。軽トラックはある温泉施設前に停車しました。
「ここだよ、ここ。さあ、行こう」
山田氏は先に立ってずんずんと歩き出していきます。有無を言わさぬ強引さです。
これから大切な原稿についての打ち合わせがあるというのに、その前にやりたいことってなんなのでしょうか。多少不安感が募ります。
施設の鄙びた玄関を通り、木造の引き戸を開けて小部屋に入ると、山田氏は服を脱ぎ始めました。
「ここはホントいい湯なんだよ。秘湯みたいなもんで、平日の昼間なんてここには誰も来ない」
小部屋に男二人きり。服を脱ぎ捨て、素っ裸になった山田氏の言葉が、私の頭の中をリフレインします。
――ちょっとやりたいことがあんだ――
――平日の昼間なんてここには誰も来ない――
……。
温泉だけ。温泉に入るだけだよね?
やりたいことってそれだよね? 信じていいよね?
ホントにホントにやりたいことって温泉なんだよね?
私は少しだけ唇を噛み、軽く目を瞑り、ほんのり肛門を閉め、服を脱ぎ捨てました。
山田氏が立て付けの悪い曇りガラスの引き戸を開けると、その奥には八畳ほどの浴場が広がっています。山田氏のあとに続いて私も足を踏み入れます。
「これがサイコーなんだよお!」
そう言うと山田氏は浴槽から汲み取った湯を2杯ほど洗い場の床に流したあと、そこに素っ裸のまま大の字に寝転んだのです。身につけているのは左レンズが破損したメガネだけです。
……。
――ちょっとやりたいことがあんだ――
――平日の昼間なんてここには誰も来ない――
秋晴れの平日真っ昼間、この瞬間も四谷の空の下では、三五館のみんなが仕事をしていることでしょう。はるか新潟の地で、私はいったい何を見せられているのでしょうか。
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モザイクに隠されているもの
倒産する出版社に就職する方法・第63回
タモリの電話からさかのぼること3カ月前、私は越後湯沢の駅に降り立っていました。そこで初めて『人は食べなくても生きられる』の著者・山田鷹夫氏と落ち合うことになっていたのです。
もともとこの企画は三五館への持ち込みでした。当時の三五館では、すべての持ち込み原稿についてH社長直々に真っ先に目を通し、その可否を判断していました。
ですから、私がH社長からこの原稿を読むように命じられたときには、この企画を出版するかどうかが決められていたはずです。しかし、H社長は、出すとも出さないとも明言せず、ただこの原稿を読み、感想を聞かせるようにと私に命じました。著者が持ち込み時に原稿に冠していたタイトルはたしか『人間飛翔宣言』か何かだったはずです。
私は原稿を一読して驚きました。本文に入ってから幾度となく「人は食べなくても生きられる」と仰々しく宣され、その根拠とされる事実のいくつかが記されているのですが、肝心の部分にモザイクがかかっているのです。
「人は食べなくても生きられる」なんて言われたら、絶対聞きたくなりますよね? 「お前、やったんか?」って。
それが当たり前の心理です。この宣言を耳にしたら、百人中百人がそう思うでしょう。私もずっとそう思いながら原稿読んでました。だって、それこそがこの命題を証明するのに必要かつ十分な根拠となるわけですから。
でも、その部分が原稿内ではじつに曖昧なのです。単行本にして300ページはゆうに上回る原稿を精読してみても、著者自身がやってんだか、やってないんだか、よくわからない、じつにぼんやりしているのです。肝心要の部分は、やっているようにも見えるし、やっていないようにも見える……まさにモザイク状態です。そこが一番見たいのにぃぃ。
それにしても「人は食べなくても生きられる」というフレーズは魅力的です。ふつうそんなことやってみようとも思わないし、堂々と一冊の本にまとめようなどとも思わないでしょうから。
そんなこんなをH社長にレポートとして提出したところ、当時編集部にいた3名の中から、私が担当として選ばれたのです。
仮タイトルを『人は食べなくても生きられる』として10月に刊行することが決まったものの、刊行に向けてやらなければならないことは多々あります。
まず、「人は食べなくても生きられる」ということを説得力を持って読者に伝えなければなりません。そのためには原稿の大幅な修正が必須です。モザイクで隠されているところを可能な限り読者に見せてあげないといけないのです。
私は原稿を読み込んだうえで、具体的にどのように構成を変更し、さらにどのように加筆をしてもらうかといった要望をまとめ、著者が住む新潟県に向かいました。
JR越後湯沢駅の改札を抜けると、正面にひとりの中年男性の姿があります。間違いありません。電話では何度かやりとりがあり、当日の到着便を伝え、クルマで迎えに来てくれることになっていた著者・山田鷹夫その人です。
一歩また一歩と近づくにつれ、山田氏からは普通の人間とは違った雰囲気が漂ってきます。なんでしょうか、「人は食べなくても生きられる」と宣言し、それを実践・証明した(と自称する)人間がまとうオーラなのでしょうか。
いや、違います。そうでないことは5メートルの距離に近づいた時点で気づきました。異様な雰囲気の正体は山田氏のかけているメガネでした。
氏のメガネの左レンズには中心に亀裂が入り、それが放射状となってレンズ全体にヒビを広げているのです。藤子不二雄が描く、キャラクターが衝撃を受けたときのアレです。
それにしても、そんなことが現実にあるか……。
私の記憶では『まんが道』の満賀道雄少年が週刊誌の連載を落としたときにショックでこんな感じになっていた気がしますが、日常生活でどんなダメージを受けたら、こんな状態になるのでしょうか。
「はじめまして。わざわざお迎えいただき、ありがとうございます」
「おお、よく来てくれたね」
思わず、時候の挨拶さえふっ飛ばして私は尋ねていました。
「メガネ、どうされたんですか?」
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タモリからの電話
倒産する出版社に就職する方法・第62回
2004年12月15日の午後。いつものように遅めの昼食を、たぶん新宿通り沿いのCOCO壱番屋だか吉野家あたりで済ませていたのだと思います、きっと。あのころの昼飯なんてたいていそんなものだったわけで、要はいつもと変わらぬ昼下がりのことでした。
三五館(当時)の社内でパソコン打っていると、私のデスクのちょうど斜向いに位置する編集部の先輩Nさんが外線電話を取り上げて二言三言話したあと、大きな声で私の名前を呼びました。
「たもりから電話……」
「はいっ!?」
「たもりから電話」
「た、も、り?」
「たもり、あの。森田一義アワーの」
たもりって、タモリ?
あのタモリから電話? 俺に?
なに、なんなの?
社内でふつうに仕事していたら、タモリから電話かかってくることなんてある?
明日のテレフォンショッキングのゲスト、俺なの?
なんか怖いんだけど。なに、イタズラ?
電話を受けたN先輩もなにやら緊張気味で、その表情からするに質の悪い冗談でもないようなのです。
「そう。『不食』の担当の人いるか、だって」
『不食』、正式な書名は『人は食べなくても生きられる』。2004年10月に三五館が刊行したハードカバーの新刊で、編集担当は確かに私です。
しかし、タモリが『不食』の担当に用とはいったいなんなのでしょうか。緊張しながら、電話に出てみます。
「お待たせしました。私が『不食』の担当ですが……」
「突然すみません。あの本を読みまして、私もあそこに書かれているような内容に個人的に興味があるものですから。可能であれば、著者にお会いできないかと思いまして……」
間違いありません。あのタモリです。「笑っていいとも!」よりいくぶん低い「タモリ倶楽部」よりいくぶん低いトーンではありますが、まごうことなきタモリです。
タモリと話している……。
突然、日常に非日常が殴り込みをかけてきて、あまりの現実感のなさに、タモリと話している私をもうひとりの自分が呆然と眺めているような感覚すらしてきます。
「承知しました。著者に確認した上で折り返しお電話差しあげますので、ご連絡先を頂戴できますでしょうか?」
そう伝えると、タモリさんは「この番号は●時から●時のあいだしか電源を入れていないんですが……」と断ったうえで、「連絡はこちらにお願いします」と携帯電話の番号を知らせてくれました。
「タモリ……なんだって?」
私に電話を回したあと、ずっとこちらを見守っていたN先輩が興味津々といったふうに尋ねてきます。
2000年に三五館に入社してこのとき5年目を迎える私は、自分が作った本をタモリが読んで著者に会いたいと連絡してきた事実に急に誇らしげな気持ちが湧いてきました。駆け出し編集者が急にいっぱしの何者かになれた気がして、先輩のNさんにも、もったいぶってこう答えるのです。
「ああ、タモリさんですか? タモリさん、『不食』に関心があって、著者の連絡先を知りたいそうなんですよ、ええ」
私はタモリから直々にお願いごとをされた人間です。こうなればもうタモリではなく、タモリさん。「いいとも増刊号」を楽しみするだけのイチ視聴者であるN先輩、あなたとはすでに同じ地平になどいないのです!
興奮冷めやらぬ私は、芸能人からの電話など日常茶飯事に受けている一流出版社の編集マンを装い、きわめて落ち着き払った態度で、著者にタモリさんからの連絡を伝えます。
「おお、そうか!そりゃすげえな。すぐ教えてやってくれよ」
著者・山田鷹夫氏からの天真爛漫すぎる快諾を得た私は、タモリさんのケータイに折り返し、著者の連絡先を伝えました。
そもそもタモリさんが目をつけ、著者に会いたいと連絡までしてきた奇書『人は食べなくても生きられる』とはいったいなんなのでしょうか?
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怪しい男と怪しい女と怪しい男
倒産する出版社に就職する方法・第61回
――来ました。
見た瞬間、もう直感でわかりました。会ったことなくても、見たことなくても、間違いありません。アイツ以外ありえねえ、私の右脳がそう言っています。
JR上野駅、人ごみの中、ひときわ存在感を放つ人物が階段をくだり、改札に向かって歩いてきます。上着は白い作務衣風ジャケット、胸元が若干はだけています。髪は無造作に伸びたパーマ、はっきりとした目鼻立ち、足元は裸足にサンダル、手元には小さなキャリーバック……。職業不詳感がエグいです。平日の昼間、スーツ姿のサラリーマンが目立つ駅構内なら100メートル先から職質対象者認定いただけます。
一言でいえば、どうでしょう。そう、イキッてる。それ以上でも、それ以下でもありません。イキりが現世の人びとを救うため姿を変えてこの世に現れた「イキり権現」です。
「どうも、藤原です」
取り急ぎ、その場で挨拶だけを交わし、われわれ三人は近くの喫茶店へ向かうことにしました。喫茶店で席についても私はまだ警戒心を解けずにいました。
『全国まわって講演』『環境問題、社会問題を語る』『すごい人』……。
長澤氏から事前に聞いていた情報がふたたび頭の中をこだまします。
今、私の目の前にいる人物は、すでに長澤氏が共鳴し、今後話の流れ次第では共著者となるかもしれない。であれば、『買いものは投票なんだ』(仮)の編集者として、この人物を共著者としてもいいのかを判断する責任があるのです。
よしんば、「悪いカルマ」「ご先祖の因縁」「魂の浄化」「パワーのこもったお数珠いかがですか?」などのワードが飛び出たあかつきには、即刻この場で取り押さえなければなりません。私は依然、警戒心を解かないまま、藤原氏の具体的活動についての話を聞いていました。
ふむふむ。今着込んでいる作務衣のようなジャケットは、バングラデシュの民族衣装「パンジャビ」というもの。ふむふむ。日本からの注文を受け、現地で製造して正当な価格で販売することでフェアトレードを実現。ふむふむ、なるほど……。
私の横では、さっきからわれわれの話を聞いているのかいないのか、長澤氏がずっと自分のケータイをいじっています。
そもそもこの長澤氏、「書画家」を名乗っているものの、ふだん何をしているのか、まったくの謎です。成人手前の大きな子どもが二人いること、10年以上シングルマザーとして子育てしてきたことなどは聞いていましたが、何をして食べているのか、ベールに包まれたままです。じつに怪しい人物といえます。
いやちょっと待ってください。そんな話をすれば、「三五館シンシャ」などという意味不明の社名を名乗り、代表取締役を自称する、小汚いワイシャツを羽織っただけの丸坊主の男もまた怪しすぎます。たしかまだ幼い子どもがいたはずですが、前年の秋に勤めている会社が倒産し、しばし失業保険をもらっていたものの会社設立とともにそれも打ち切られ、今となっては何をして食べているのかまったく不明です。じつに怪しい人物といえます。
……。
怪しい人間が、相手が怪しいかどうか見極めようなどとは、怪しさの極みです。
こうなったら、私の怪しさとあの人の怪しさを交換するしかない。そう、これがフェアトレード。もう、おあいこなのです。
こうしてJR上野駅で、怪しい男と怪しい女が怪しい男を迎え、その約1時間後、怪しい男は怪しい女と怪しい男と怪しい出版社で本を作ることを決断したのです。
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
――フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』
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イキッてるからすぐわかる
倒産する出版社に就職する方法・第60回
2018年5月15日、午後2時、JR上野駅改札。
次々に改札に押し寄せる人の波を見つめながら、私は長澤美穂氏とともに、ある人物の到着を待っていました。待ち合わせ時刻はもうすでに過ぎています。
「どんな人なんですか?」
「うーんとね、イキッてる。とにかくイキッてるから、来たらすぐわかる」
「そうですか……」
すべては一枚のポスターから始まりました。A3サイズのカラーポスターには「トイレットペーパー」「塩」「砂糖」「化粧品」「不織布マスク」……と個別の品目が描かれ、その中央に可愛らしいキャラクターとともに大きな字で「買いものは投票なんだ」と銘打たれています。下欄には「どの店に投票する?」という問いかけがあります。SNS上で目にしたこのポスターに私が惹かれたのが2016年のことで、その作者が長澤美穂氏です。
「このメッセージを書籍にしたい」と思い立った私は、長澤氏に連絡をとります。ポスターの書籍化には長澤氏もすぐに同意してくれたものの、ここからが苦難の時間でした。
ポスターを書籍にするということは、一枚に収まって描かれていたものを解体し、ページを繰る本の形式で数十ページ分に構成しなおさないといけないのです。
ポスターに描いてあったものをそのままページ割りにしても面白くない。ページをめくってもらう仕掛けを作りながら、ポスターの主張を表現していかなければなりません。
長澤氏と私はどのように見せれば書籍として多くの人にアピールするものになるかをやりとりしつづけますが、なかなか答えが出ません。そうこうしているうちに2017年10月に三五館が倒産、同年12月に私は一人で三五館シンシャを立ち上げることになります。倒産を詫び、新会社の設立を報告したあとも「買いものは投票なんだ」の書籍化に向け、われわれの試行錯誤は続いていました。
そんな中、しばしのブランクを経て、長澤氏から連絡があったのです。
「あのね、すごい人と出会ったの!」
声が弾んでいます。何か良い出会いがあったようです。
「その人、全国まわって講演会してるの。たまたま話を聞きに行ったんだけど、地球の環境問題とか社会問題とか語ってて内容がいいの。フェイスブックも人気で。直接話したら一緒に作品を作らないかって話になって……」
なにやらその人物に大いに感銘を受けたようです。
「なるほど。そうですか……」相槌を打ちながら話を聞くものの、長澤氏の口から語られたキーワードに、私は少々危険な香りを感じ取っていました。
『全国まわって講演』『環境問題、社会問題を語る』『すごい人』etc.
……。
なんか怪しくね?
長澤氏が熱く語れば語るほど、そこはかとないXJAPANのTOSHI臭が漂ってくるのは気のせいでしょうか。『謎の占い師』→『マインドコントロール』→『巨額のお布施』etc.……よからぬ連想がとまりません。
しかし、せっかく著者が心酔しているものを頭から否定してはいけないのです。それなら、そのすごい人物とやら、この目で確認してやろうじゃないかと。そして、先方が指定してきたJR上野駅改札で、私と長澤氏はさっきからその人物の到着を待っているというわけなのです。
それにしても遅い。すでに予定時刻よりも10分近くが経過しています。
もしかしてあまりの人ごみに見逃してしまったのではないかと危惧した私は、その人物について長澤氏に再び確認します。
「30代の、男性、なんですよね? ……どんな感じの人ですかね?」
「とにかくイキッてんの」
長澤氏は「イキッてる」としか言いません。とにかくイキッてるのだと。
そんな人探しがあるでしょうか。上野駅のこの雑踏の中、ヒントは「イキッてる」だけです。難しすぎます。下向いてケータイ画面をピコピコいじっている長澤氏に代わって、「イキッてる」という極細ヒントだけを頼りに、私が見たこともない人物を見つけ出さなければならないのです。
イキッてる奴、イキッてる奴……。
改札付近に目を凝らし、ひたすらイキッてる奴いないか探します。そもそもイキッてるってなに?
?????
???!!!!
!!!!!!!!!
ぬぉぉぉ、イキッてる奴、来たぁぁあああ!!!!!