倒産する出版社に就職する方法・第65回
その1時間ほどのち、われわれ二人は施設の喫茶スペースにおいて、互いにほんのり上気した顔で向かい合っていました。(温泉施設でいったい何があったか……みなさんのご想像におまかせすることにしましょう)
さて、ここからがいよいよ本題です。
私は温泉に入りに新潟まで来ているのではありません。原稿の修正依頼をして、手直しに入ってもらわなければなりません。
そして改稿をしてもらう上で避けて通ることのできないテーマがあります。それは私が初めて「人は食べなくても生きられる」と宣言されたこの原稿を読んだときから感じていた疑問でもあります。
で、それホントやったんか?
原稿をいくら読んでも、その部分ははっきりと描かれてはいないのです。
3年前から不食実験を開始した、とは書いてあります。肉類・砂糖・油を避けた、とは書いてあります。不食を続け「不食ハイ」と名付けた快感を得られるようになった、とは書いてあります。腐ったマグロを食べる腐食実験を行なった、とは書いてあります。ついでに言うと、セックスは2年以上やっていなくて、マスターベーションはたまにやる、とは書いてあります。
そこまで書いてんのに、具体的にいつからいつまでの期間、どのくらい食べなかったのか(あるいは食べたのか)が書かれていないのです。いや、マスターベーションの頻度は書かんでいいから、不食やったか書けや。
私はたったひとつの質問をぶつけに、はるばる新潟までやってきたと言ってもいいかもしれません。一緒に温泉にも入った仲だし、もうよい頃合いでしょう。さあ、思いきって聞いてしまいましょう。
「で、山田さん、不食って実際にやられたわけですよね?」
「おお、やったよ」
慌ても動揺も、表情にいっさいの揺らぎがありません。少なくとも私には嘘をついている人間の顔には見えないのです。
「食べないっていうのは、どのくらい食べないんですか? 固形物はいっさいとらないわけですか? 水も飲まないんでしょうか?」
「コーヒーは飲む」
……。
そ、そうですか。食べなくても生きられるというから、霞食ってる、なんか仙人みたいなのを想像していましたが、コーヒーは飲むんですね……。まあ、いいでしょう。コーヒーなんてカロリー全然ないわけですから。水みたいなもんですから。コーヒーだけで生きている人間なんて、常識を覆すとんでもない存在ですもの。コーヒーで生きるって、こりゃすごいことだ。
「あと、ビールもたまに飲む」
……。
「あっ、あと、たまにアイスクリームも」
そ、そうですか。ア、アイスは流動物ですからね。融けきっちゃえばもう完全に水なわけで。ええ、ギリギリセーフということで。ビデオ判定は無しで。ああ、ギリギリセーフだったぁ……で、こ、固形物はとってないんですよね。さすがに。
「でも固形物はほとんどとってないね」
ほとんど……。
私は「ほとんど」と「いっさい」の間に横たわる広大無辺たる大河に思いを馳せるのです。ああ、あらゆる疑念をも飲み込む悠久なる水の流れ。いっそのこと、もうわれわれ二人の存在ごと飲み込んではくれないものか……。
「ほとんどっていうのは具体的にどのくらいなんですか? 1日にレタスの葉っぱ一枚なのか、玄米一口なのか、間食的にお菓子を少しだけ食べているのか。平均して1日あたりに食べているものの分量はどのくらいで、その品目っていったいなんなんですか?」
思わず詰問調になってしまう私。なんだか取調室の尋問みたいになってきました。