三五館シンシャ

モザイクに隠されているもの

倒産する出版社に就職する方法・第63回

 

タモリの電話からさかのぼること3カ月前、私は越後湯沢の駅に降り立っていました。そこで初めて『人は食べなくても生きられる』の著者・山田鷹夫氏と落ち合うことになっていたのです。

もともとこの企画は三五館への持ち込みでした。当時の三五館では、すべての持ち込み原稿についてH社長直々に真っ先に目を通し、その可否を判断していました。

ですから、私がH社長からこの原稿を読むように命じられたときには、この企画を出版するかどうかが決められていたはずです。しかし、H社長は、出すとも出さないとも明言せず、ただこの原稿を読み、感想を聞かせるようにと私に命じました。著者が持ち込み時に原稿に冠していたタイトルはたしか『人間飛翔宣言』か何かだったはずです。

 

私は原稿を一読して驚きました。本文に入ってから幾度となく「人は食べなくても生きられる」と仰々しく宣され、その根拠とされる事実のいくつかが記されているのですが、肝心の部分にモザイクがかかっているのです。

「人は食べなくても生きられる」なんて言われたら、絶対聞きたくなりますよね? 「お前、やったんか?」って。

それが当たり前の心理です。この宣言を耳にしたら、百人中百人がそう思うでしょう。私もずっとそう思いながら原稿読んでました。だって、それこそがこの命題を証明するのに必要かつ十分な根拠となるわけですから。

でも、その部分が原稿内ではじつに曖昧なのです。単行本にして300ページはゆうに上回る原稿を精読してみても、著者自身がやってんだか、やってないんだか、よくわからない、じつにぼんやりしているのです。肝心要の部分は、やっているようにも見えるし、やっていないようにも見える……まさにモザイク状態です。そこが一番見たいのにぃぃ。

それにしても「人は食べなくても生きられる」というフレーズは魅力的です。ふつうそんなことやってみようとも思わないし、堂々と一冊の本にまとめようなどとも思わないでしょうから。

そんなこんなをH社長にレポートとして提出したところ、当時編集部にいた3名の中から、私が担当として選ばれたのです。

 

仮タイトルを『人は食べなくても生きられる』として10月に刊行することが決まったものの、刊行に向けてやらなければならないことは多々あります。

まず、「人は食べなくても生きられる」ということを説得力を持って読者に伝えなければなりません。そのためには原稿の大幅な修正が必須です。モザイクで隠されているところを可能な限り読者に見せてあげないといけないのです。

私は原稿を読み込んだうえで、具体的にどのように構成を変更し、さらにどのように加筆をしてもらうかといった要望をまとめ、著者が住む新潟県に向かいました。

 

JR越後湯沢駅の改札を抜けると、正面にひとりの中年男性の姿があります。間違いありません。電話では何度かやりとりがあり、当日の到着便を伝え、クルマで迎えに来てくれることになっていた著者・山田鷹夫その人です。

一歩また一歩と近づくにつれ、山田氏からは普通の人間とは違った雰囲気が漂ってきます。なんでしょうか、「人は食べなくても生きられる」と宣言し、それを実践・証明した(と自称する)人間がまとうオーラなのでしょうか。

いや、違います。そうでないことは5メートルの距離に近づいた時点で気づきました。異様な雰囲気の正体は山田氏のかけているメガネでした。

氏のメガネの左レンズには中心に亀裂が入り、それが放射状となってレンズ全体にヒビを広げているのです。藤子不二雄が描く、キャラクターが衝撃を受けたときのアレです。

それにしても、そんなことが現実にあるか……。

私の記憶では『まんが道』の満賀道雄少年が週刊誌の連載を落としたときにショックでこんな感じになっていた気がしますが、日常生活でどんなダメージを受けたら、こんな状態になるのでしょうか。

 

「はじめまして。わざわざお迎えいただき、ありがとうございます」

「おお、よく来てくれたね」

思わず、時候の挨拶さえふっ飛ばして私は尋ねていました。

「メガネ、どうされたんですか?」

(つづく)