倒産する出版社に就職する方法・第58回
いや、待てよ。この動画ってパソコンか何かに落としてんだっけ?
子どもが延々と柿食ってるだけの動画をどこかに保存した記憶などありません。きっとこのビデオで撮って、そのままにしてあるだけです。ビデオに収められたほかのすべての動画もおなじでしょう。
まずいな……。
数日前、家のテレビの内臓DVDに録画されていた、数週間前の「名探偵コナン」を消したときのことがフラッシュバックします。
事件が起きたのは夕食後のことでした。
録画した番組を見ようとリモコンを操作しながら、長男がつぶやきます。
「あれっ?コナンがないんだけどぉ」
「えっ、知らないよ」
妻がそう答えています。
食器を洗いながら、背中越しにその会話を耳にした私は面倒なことになりそうだと感じていました。なぜなら、その前日、コナンを消したのは私だからです。
「ねえ、パパ、前に撮ってあったコナンの動画、知らない?」
長男が直接、問いかけてきました。
「ん? …………もう消したよ」
食器を洗う手を止めず、私は答えました。
「ええっ、なんで消したの?」
明らかに怒気を含み、トーンのあがった声で長男が問いかけます。
「……」
私は黙々と食器を洗い続けます。
「ねえ!なんで消しちゃったの!!」
押し黙る私に追い打ちをかける金切り声があがります。
「……どうせ1回見たんだろ?見てんだから、もういいじゃねえか」
私はいったん予洗いした食器を、続いて食洗器に入れ込み始めました。
「大切にしているもんがあるんだから、消すなら一言言ってよぉ!」
「そうだよ。勝手にやらないでよ」
ここぞとばかり次男まで加勢してきました。ふだんはケンカばかりしているのにこの連帯感はなんなのでしょう。
「そんな何週間も前の、とっておいたってしょうがないだろ。容量がいっぱいになっちゃうんだよ」
今晩は食器が多く、どうやら食洗器に納まりきりそうにありません。もう一度、食洗器を回さねばならないのです。
「もういちど見たいやつだってあるんだよ!!!」
加勢してきただけの次男が、まるでわが一大事のごとくに絶叫します。さらに長男も続きます。
「自分が撮ってるやつがいっぱいあんじゃん! 容量ないなら、それ消せばいいでしょ!!!」
彼らは知っているのです。私がとりあえず録画して、いつか見ると思ったまま放置している多数の番組群(合計30時間)が存在することを……。
『NHKスペシャル 新・映像の世紀「第1集 百年の悲劇はここから始まった」』
『NHKスペシャル 未解決事件File05 ロッキード事件』
『ドキュメント72時間「六本木ハロウィーン 仮面の告白」』
『FNSドキュメンタリー大賞 幸せのかたち 出生前診断の現場で』
『さんまのお笑い向上委員会 ゆりやん・誠子の恋の桜が満開問題』
『これで見納め!安室奈美恵引退スペシャル 最後の1年と最後の1日に独占密着』
『ガキの使い!大晦日年越しSP!絶対に笑ってはいけないトレジャーハンター24時』etc.
しかし、これらはなんかすぐには見る気にならないだけで、見たら見たでそれなりに面白いはずなのです。だから時間があるときに、そのうちきっといつかおそらくたぶん見るのです。これらは断じて消すわけにはいかないのです!!!
「あ、あれはいつか見んだよ……」
「でもさあ、ひどいんじゃない?勝手に消すなんて」
妻まで加わってきました。
「いつも勝手にやっちゃうよね」「人の気持ち考えないでひどくない?」……二人の子どもが口々に私を非難します。
「うるせえ!黙れっ!」
もう言論弾圧するしかありません。
それにしても、子どもに議論で負けて、怒鳴りつけるような大人になるだなんて思ってもいませんでした。
「都合悪くなったら黙れとかひどくない?」(妻)
「僕、なんか間違ったこと言ってる?」(長男)
「ひーどーい!ひーどーい!!」(次男)
もう食器洗い器が動き始めてしまったので、私は彼らと直接正面から向き合わなければならなくなりました。
「はいはい、わかったわかった。今度から聞くようにしますよ。ゴメンゴメン」
惨敗です。
むごたらしいほどの敗れ去り方なのです。
これが世に言う「コナン事変」です。これにより私の心には深い傷が残されました。
藤原氏の講演会場で、いまだ生々しい傷跡が疼き出した私は、消去ボタンを押すのを思いとどまりました。
よしんば講演会90minぶんの動画を削除したとしましょう。
「なんで、柿消しちゃったの!?」
家族からの叱責が目に浮かびます。
「ちゅら海もないじゃん!?」
「自転車もなくなってんの?」
「なんで勝手にやるのよ?」
「柿また見たかったのにぃ~!」
「ひーどーい!ひーどーい!!」
……。
私は手にしていたビデオカメラをそのままダンボールの上に置きなおし、レンズをそっと藤原氏のほうに向けました。
電源の入っていないビデオカメラと私は、所在なさげに藤原氏の講演をぼんやりと眺め続けるのでした。