三五館シンシャ

究極の選択

倒産する出版社に就職する方法・第57回

 

2月下旬、私は、通勤時間帯を過ぎ、車内も空き始めた京王線に揺られていました。相模原で開催される藤原ひろのぶ氏の講演会に向かっていたのです。

『買いものは投票なんだ』の刊行後、藤原氏の講演活動はさらに広がりを見せ、全国いたるところで開催、今年に入ってからだけですでに40回を数えます。

藤原氏はバングラデシュでの「ギフトフード」(スラム街の子どもたちへの食糧支援活動)にも力をそそぎ、2月頭から現地を訪問し、2週間にわたって滞在しているため、それを除くと、日本にいるときはほぼ毎日のように講演を行なっていることになります。

 

すでに何度か聞いている講演会に、私が2時間かけて相模原までわざわざ駆けつけるのには理由があります。

2万部を突破した『買いものは投票なんだ』の続編の準備です。まずは続編をどういう趣旨の本にするのかを定めねばなりません。私はその素材集めの一環として、スライドや動画などもまじえ視覚にも訴える講演の模様を動画で収録しておくことにしたのです。

10時30分、講演開始時刻の10分前に会場に到着した私は取り急ぎ自宅から持参したビデオカメラのセッティングを始めます。

主催者に動画の収録を断ってから、参加者の邪魔にならず、それでいて藤原氏とスクリーンの全貌が収められるよう、会場のいちばん後方の机にダンボールを積み上げ、その上にビデオカメラを設置します。

アングルを調整し、セッティングが完了すると同時、10時半ぴったりに藤原氏が颯爽と会場入りしました。

「お疲れさま!」

会場を見渡しながら、急いでパソコンをセットし、早々に講演に突入です。これがいつもの藤原スタイルなのです。

 

 

「こんにちは、藤原ひろのぶと言います!」

 

よし、始まった。

講演会のスタートにあわせて、私はビデオカメラのRECボタンを押します。

 

 

ぺンッ!

 

 

ビデオカメラから電子音が鳴り響きます。

RECスタートの電子音ではありません。

聞いたことがあるようなないような、なにやら不穏な電子音なのです。

 

(なんだよこの音。おかしいな)

 

私はカメラの液晶画面を覗き込みました。

 

『空き容量がありません』

 

……。

 

空き容量がないそうです。

昨晩から準備し、今朝もフル充電であることは確認済みでしたが、不覚にもデータ容量にまでは気が回っていませんでした。

保存されている動画の数々を急いで確認します。

急がねばなりません。この間にも藤原ひろのぶの講演はどんどん進んでいるのです。

 

 

〈次男が初めて歩き出したときの様子・13min〉

〈長男の運動会①・25min〉

〈次男の生活発表会・17min〉

〈奇声をあげている次男・8min〉

〈長男の運動会②・20min〉

〈家族で行った美ら海水族館・17min〉

〈長男がひたすら柿を食べ続ける・9min〉……etc.

 

思い出深いものから意味不明なものまで、パンドラの箱から撮ったまま見返すこともなかった無数の映像があふれ出しました。

 

ああ、懐かしい……。

 

 

 

いやっ、懐かしさにしみじみとしている場合ではありません。講演会は進んでいます。

藤原氏の講演会はおよそ90min。となると、複数の動画を消さないと、講演の全貌を収めきれないことになります。

 

いったいどれを消す?

粛々と進行する藤原氏の話を尻目に、私は究極の選択をつきつけられることになりました。

 

まず柿は消していいとして、追加で運動会と奇声とを足すと40minちょっとだから、あとは……。

 

猛スピードで動画時間を試算します。

早く決断をせねば。

迷っている場合ではないのです。

こうしているあいだにも藤原氏の話はどんどん進んでいるのですから……。

つづく