倒産する出版社に就職する方法・第36回
「昨日の晩御飯、覚えてますか?」
これ、95%くらいの人が答えられると思います。最近、自分の記憶に自信が持てず、著者との打ち合わせが少々込み入ってくると必死でメモをとるようになった私でも、さすがに大丈夫です。ちなみに鰆の西京焼き。
「じゃあ、一昨日の晩御飯は?」
たぶん2割くらい脱落するんじゃないでしょうか。私もぎりぎりなんとか思い出せる範囲ですが、日によってはちょっと危ういかも。
「一週間前の晩御飯は?」
9割以上の人、覚えていないでしょう。誰かに「この味がいいね」とか言われて記念日認定でもしていない限り、まず覚えていませんよね。私は完璧にわからない。海馬が私に断りもなく昨日や一昨日の晩御飯でしれっと上書き保存してしまっているので、もうアクセスすることすらできません。
「一年前の今日、何があった?」
これなら、どうですか? 季節感を手がかりにたどれます?
高橋ジョージだったら、ハーモニカ吹きながら何があったか何章にもわたって熱唱始めるんでしょうが、ふつうはまず無理ですよね。
が、一昨日の晩御飯すら怪しい私にとって、一年前の今日は一生涯忘れられない出来事が起こった日なのです。
――2017年10月5日、三五館倒産――
倒産当日、進行中だったいくつかの本の著者に、デザイナーに、イラストレーターに、組版会社に、印刷所に、そして旧知の関係者に連絡を入れ、事情を説明し、詫びていきました。昼前ごろから事情を知った関係者がぽつぽつ来社するようになり、その対応にもあたります。
「大丈夫かよ」「どうしてこうなっちゃったんですか」「私の本はどうなるの」「気を落とさないで」「印税はもらえないよね」「まだ若いんだから」「これからどうするんだよ」……etc.
昼を大きくすぎたころ、ようやく一区切りつけ、遅い昼食をとるため、新宿通りに面した四谷2丁目の会社の裏口から外へ。
ドアを開けて外に踏み出したときに見上げた、悲しいぐらいに青く突き抜けた空。
一昨日の晩御飯、学生時代の恩師がくれた箴言、お気に入りだったAVのタイトル……勝手にどんどん上書き保存していく海馬がどういうわけかなかなか消去しない、あの日の空。もう一生忘れないだろう空。
その後、2017年10月いっぱい、四谷の三五館に出社しながら、関係者対応と残務整理。11月から本格的に三五館シンシャ設立に向けて動き出し、12月頭に登記。
本の編集をしながら、このホームページを立ち上げたのが今年の2月。1冊目の本を刊行したのが4月。「倒産する出版社に就職する方法」と題したこの連載を開始したのが5月。6冊目の本を刊行したのが9月。そして今日、10月5日で一年。
早いもんで、あの日からもう一年かあ。
朝、誰もいない事務所に来てカギ開けて、夜、誰もいない事務所にカギかけて帰途につくこの生活、すっかりからだに染み付いちゃったけど、まだたった一年かよ。
わずか一年ではありますが、三五館シンシャがここまでやってこられましたのも、ひとえにお世話になっている多くの皆様のおかげです。
まじめな挨拶に入りますので、ちょっと前の高橋ジョージのくだりと、お気に入りのAVのくだりは皆様の海馬からすみやかに消去いただきつつ、日々のご支援、ご厚情に、心より御礼を申しあげます。連載をお読みいただいている方々も引き続きご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
それでは独り事務所で祝杯をあげることにしましょう。
今日は三五館の命日じゃなくて、新しい誕生日なんで。
(連載はつづく。三五館もつづく。わたしはあきらめない)