三五館シンシャ

生まれくる、愛しきわが子へ

倒産する出版社に就職する方法・第29回

 

ようやく終わった……。

 

「白焼き」を抱えて営業車へと戻っていく印刷所担当者の後ろ姿を見送りながら、私は安堵のため息をつきました。

この1カ月、カレンダーを睨みながら日々の作業に追われ、次々勃発するトラブルに気を揉んでいた9月新刊『買いものは投票なんだ』が9月3日、今日校了を迎えたのです。

 

ついに今日校了か……。

私の好きな言葉「人類愛」「世界平和」、そして「今日校了」。

気高い響き。「今日校了」。

芳しき香り。「今日校了」。

命の泉、百薬の長。「今日校了」。

すべてを手に入れた秦の始皇帝が最後に探し求めたものこそ、この「今日校了」だったとも言われます。

 

本の制作は、「校了」のあと「下版」→「刷版」→「印刷」→「製本」という工程を進んでいくことになります。

「下版」から「印刷」までは印刷所の、「製本」は製本所の仕事となるので、出版社は「校了」から先は手も足も出せません。ボブスレーに飛び乗った乗組員みたいに、あとは小さく亀のように丸まってゴールに滑り込むまで身をまかせるほかありません。

あらゆるトラブルが頻発してきた本書も校了してしまえば、もうこっちのものです。

 

みなさんも小学校時代によく「バリアゾーン」をお使いになられたかと思います。

思い出してみてください。バリアゾーンに入ったらどうなりますか?

 

そう、無敵です。

 

小学生だろうが、後厄だろうが、バリアゾーンに入れば無敵というのは人類の普遍的な原理なのです。

 

著者から「はじめにをもう一回書き直したい」と言われ、関係先各担当者の顔を思い出してオロオロしていた私はもういません。

なぜなら私はもうバリアゾーンにいるのですから。

 

「キャラクターの入り方が気に入らないから描き直したい」とか「ラストの文章を少し手直ししたい」とか言われたら、こう言うのです。

 

「もう今日校了しちゃったんですよぉ」

 

どうです。誰もが憧れる決め台詞です。しびれます。

ただし、嬉しそうに言ってはいけません。喜びが相手に伝わるようではまだ一人前とはいえません。

あくまで残念そうに、たまらなく悔しそうな表情で言わなければなりません。

歯を食いしばって、腿のあたりを一、二発コブシで叩いてやったりするとかなり効果的です。

さらにサービスとして、頭を抱え机に突っ伏しながら、こんなことも付け加えておきましょう。

 

「クソー、残念だったなあ。ああ、あと1日早く言ってくれればなぁ……」

 

LINEメッセージに脅かされる日々は過去のものとなったのです。

 

 

 

ただ、もう修正が利かない状態ということは、著者からの追加や描きなおしが入らないということだけでなく、どんな間違いがあっても直せないということでもあります。

先週の金曜日、イラスト内の「特売日」が「得売日」になっていたから、著者にその場で急遽「特」の字を書いてもらって差し替える、というような荒業が使えないということです。

先週の金曜日、イラスト内の「たくさんの人達」の「達」のシンニョウの上が「幸」になっていたから、その場で一本線をくわえてもらう、という緊急対応が不可能になるということです。

イラスト、文章はもちろんのこと、ISBN、参考文献、著者名、出版社情報……もう間違いを見つけてもどうしようもありません。

ああ怖。

 

 

そして、もっとも怖く、もっとも喜ばしいことは、いよいよ本書が多くの読者の方々によって評価されていく段階に来た、ということです。

著者と一緒になって作りあげたメッセージが、多くの読者の方々に受け入れられるかどうか、広がりを持つかどうか、シビアに問われることとなります。

編集のイチからジュウまでを教えてくれた三五館のH社長は一冊一冊の作品をわが子にたとえていました。

「この本が自分の子どもなら、そのためにできる限りのことをしてやるだろう」

そう教えられた(=怒られた)ものです。

これまで携わったすべての本と同様、わが子にやるべきことをやり尽くせたかを反芻しながら、怖さと自信をあわせもって、真摯な気持ちで判断を仰ぐ舞台に踏み出します。

『買いものは投票なんだ』9月21日以降、全国の書店に配本されていきます。

新しく産み落とされるわが子が、ひとりでも多くの読者の目に触れ、手にとっていただきながら、成長できますように。

 

(つづく)