三五館シンシャ

ジョコビッチと生まれ変わった男

倒産する出版社に就職する方法・連載第15回

 

「ああ、はいはい、ジョコビッチですね」

 

スポーツ選手だということはわかっていたものの、そのジョコビッチとやらの競技がなんだったかは少々手探り状態でした。

テニスだったっけか、たしか……その程度の認識で、編集部に突如電話してきて、そのジョコビッチとやらの著作『SERVE TO WIN』について早口で捲くし立てる男と実際に会ってみることにしたのです。2015年1月上旬のことです。

男の名はタカ大丸。翻訳家であり、英語、韓国語、スペイン語、日本語を操るポリグロット(多言語話者)です。アメリカで出版されたジョコビッチの著書『SERVE TO WIN』を日本語訳して出版しないかと言うのです。

よくよく聞いてみると、三五館の前にすでに複数の出版社に持ち込んでいて、各社から「日本人、誰もジョコビッチなんか知らんし」と軒並みNGをくらったといいます。

 

信頼の証として「水曜日のダウンタウン」への出演経験を語るポリグロットは「これは絶対売れる」と自信満々です。

とはいえ、ジョコビッチが誰かは知らずとも、「絶対売れる」「絶対儲かる」の類を信じてはいけないことと、「水曜日のダウンタウン」出演が信頼の証にならないことくらい私だって知っているのです。

半信半疑で話を聞きます。

 

・ジョコビッチはATP世界ランク1位のテニスプレーヤーである

・世界ランキングの上位に位置したものの勝ったり負けたりで安定した戦いができていなかったが、自らの食事の間違いに気づき、グルテンを除いた食事を取り入れたことでパフォーマンスが向上

・その経緯と結果、さらにその食事法を本人が開陳

 

……なるほど、内容は悪くなさそうです。

しかもアスリート本人が書いている唯一の本というのがいいではありませんか。

当初、ポリグロットの自信満々さに及び腰だった私も話が進むにつれて、前のめりになっていました。

 

タカ大丸氏の説明を聞き取ったうえで、私が描いた構想はこうです。

 

「テニス界の最強王者ジョコビッチ、その天下はしばらく続く。多くの日本人は今、ジョコビッチを知らないが、世界ランクを5位まで上げている錦織が世界を制するために倒さねばならない存在としていずれクローズアップされる。錦織のライバルとしてジョコビッチの知名度が上がっていけば、必然的にその唯一の著作に注目が集まる……」

 

どーよ、この読み。

人間の3分の2の嗅覚しか持たないとされるカモノハシの3分の2の嗅覚しか持たないとされる私にも、この時点でなにやら売れる本の匂いがしてきました。

 

エージェンシーに版権を確認したところ、「以前ある版元から問い合わせがあったが、その後連絡がなく、現在は空いている」との答え。H社長に奏上するとGOサインです。

 

よしやろう。

 

かくしてポリグロット・タカ大丸による不眠不休の翻訳作業と、私の定時に来て定時に帰る編集作業のコラボレーションにより、『SERVE TO WIN』は『ジョコビッチの生まれ変わる食事』として2015年3月に刊行されることになります。

 

同書は私の予想を裏切り、発売開始早々から好スタートを切ることになります。

ジョコビッチもまた、3月BNPパリバ・オープン、マイアミ・オープン、4月モンテカルロ・マスターズ、BNLイタリア国際と立て続けに優勝、と好調を維持します。

 

しばらく本の売れ方を追っていると、ジョコビッチが優勝すると、それにともなって動きが出ることがわかってきました。

ジョコビッチ優勝→スポーツニュースになる→世間の関心&知名度UP→本売れる

こういう図式ですね。

 

それ以来、私は緊急的かつ急進的ジョコビッチファンに生まれ変わったのです。

 

いかに昨日今日湧いてでた急造ファンとはいえ、こっちは明確な利害関係がともなっているのです。ジョコビッチの一戦一戦に会社の浮沈がかかっているのです。試合にかける切実度が段違いなのです。

ジョコビッチ応援の真剣さにおいて、私は当時、日本で唯一、世界10位圏内にランキングされていたはずです。

 

帰宅早々、「パパの大事なお仕事」の名の下に、「ポケットモンスター XY&Z」を観ている子どもたちからリモコンをふんだくり、NHK-BS1のジョコビッチ戦にチャンネルを変えるのです。

 

「よしっ、いけっ! 入ったぁ!!」

 

血走った眼でジョコビッチ戦の戦況を見守る私。

サッカーくじのTOTOやっている眼じゃありません。野球賭博の胴元の眼です。これこそジョコビッチにすべてを賭けている人間の眼なのです。

 

私の応援を受けて、連戦連勝するジョコビッチ。

2015、2016年はまさにジョコビッチの時代でした。

絶対王者として君臨、本も着実に版を重ねていきます。

 

そんなときでした。

テレビ朝日から、「松岡修造がジョコビッチにインタビューする際、本人に日本で売れているこの本のことを聞いてみたいのだが、書籍の使用は問題ないか?」という問い合わせが入ったのです。

(つづく)


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