三五館シンシャ

自動音声応答システム

倒産する出版社に就職する方法・第78回

 

長澤氏からの「漫画家になります」宣言から数日後、私はようやく藤原ひろのぶ氏を東京都内の喫茶店で捕らえていた。相変わらず全国各地を飛び回っているため、この機会を逃せば、次に会えるのはいつになるかわからない。『買いものは投票なんだ』の続編企画である「EARTHおじさんとお金の話」(仮)の進捗と、勝手にFacebookに投稿されだしたEARTHおじさんマンガについて確認をしておかねばならない。またすぐ次の予定が控えているという藤原氏。悠長に世間話などしている暇はない。席に着くや早々に切り出す。

「例のEARTHおじさんのお金の企画、まったく動きが止まっているじゃないですか」

「そやな」

 

警戒した目。やるべき企画も進まず、こちらから何度も送っているLINEメッセージすら無視していることに後ろめたい気持ちがあるのだろう。うかがうようにこちらを見ている。

 

「やろうと決意して少しやって止まる。またやろうと決めて少しやって止まる。この繰り返しだとなかなか動かないと思うんですよ」

「そやな」

 

そう言って藤原氏が眉根を寄せる。深刻そうに、思い詰めた表情をしている。しかし、私の目は節穴ではない。この男、特に何も考えていない。締切も無視しているから、なんか深刻そうな表情をしておこうと思っているだけだ。もう私は知っている。

 

「お二人が真剣に企画に取り組もう、楽しんで作り上げようって熱意があった上で、一気に進めていかないと今回の本は完成しないと思うんですよ」

「そやな」

 

眉間の皺がより深くなった。テーブルに視線を落とし、沈痛な面持ちだ。しかし、男の黒目の奥には、荒涼たる砂漠が広がっている。どこまで行っても何もない、見渡す限りの砂漠。そこは草も木も生えない、生物が生きていくことのできない世界。ひとたび迷い込んだら最後、もう二度と出てはこれない。

 

「やれそうにないこと、もっと言えば楽しくないことを無理にやろうとして、停滞しているのって時間のムダだと思うんですよ。やれないならやれないということで、次にどうするかを考えたほうが有益じゃないかって」

「そやな」

 

腕組みして瞑目している。しかし、特に痛痒は感じていない。私は知っている。目の前の奴がなんかうるさく問い詰めてきてるから、この時間早く終われ。そう思っているだけだ。心の中は真空状態だ。

 

「でね、たぶん今、お二人の情熱はEARTHおじさんのマンガのほうに行ってると思うんですよ。そんな状態で私がいくら締切切って、この企画早くやれやれと急かしてもきっと進まないんじゃないかって」

「そやな」

 

男の口から出てくる言葉は「そやな」だけになった。1分ごと、私の話の合間に「そやな」とだけ唇が動く。もはや自動音声応答システムに等しい。そこに人間の意思はない。自動音声でご案内しながら、この男が今考えていること。私にはわかる。そう、今晩なに呑もうかな。

 

「当初の企画はいったん保留して、もういっそのこと、Facebookに投稿してるEARTHおじさんのマンガのほうで本を作る方向に切り替えたほうがいいんじゃないかと思って。このマンガの中にお金のテーマも入れ込んでやったほうが、二人の勢いも生かせて、いい作品になるんじゃないかと」

「……じつは俺もそう思っててん」

「……」

「……」

 

目が合う。黒目の奥に広がる砂漠。あっ、誰かいる。砂漠に迷い込み、地図を失い呆然と立ち尽くす表情のない男。

そこに未来の自分を見つけた気がして、私はたまらず目をそらした。

(つづく)