三五館シンシャ

酸欠とカバーデザイン

倒産する出版社に就職する方法・第70回

 

「酸欠やねん」

 

2019年9月初旬、都内喫茶店。

10月初旬刊行で進行中の藤原ひろのぶ氏の新刊『ぼくらの地球の治し方』の編集作業は佳境を迎えていました。タイトルは正式に決定し、続くはカバーデザインです。

カバーデザインはタイトルとともに本の顔ともいえる部分。内容を表現しつつ、書店店頭やネット書店でも一目でアピールできる存在感も重要になります。

写真か、イラストか、はたまた文字だけで表現するか、さらには使う用紙やその色合い、加工はどうするかまで、まさに編集者の手腕が問われるテーマなのです。

すでに藤原氏から、カバーとオビは「ストーンペーパー」にしてほしいという要望を受けていました。石灰石を主原料とする「ストーンペーパー」は製造にあたりバージンパルプや水を使用しないため、環境負荷を大幅に減らします。本書のメッセージにも合致した新素材なのです。

しかし、使う用紙以外はまったくの白紙です。

そこで私は著者の藤原氏に、カバーで使うための写真の選定を依頼していました。国内・海外での多岐にわたる自身の活動の中から、読者にアピールしそうな写真を選んでもらい、それをもとにカバーのイメージを作っていこうと考えたのです。この日がその写真選びの締切です。

 

「カバー用の写真選定はどうなりましたか?」

「だから、酸欠やねん」

 

Qに対してのAがおかしいのです。

しかも断定の助動詞「だ」と接続助詞の「から」から成る接続詞「だから」の使い方をご存じないようなのです。

 

「講演、1日3回もやると酸欠になんねん」

 

(だから、なんだ?)

私は思わず口に出しそうになった接続詞「だから」の正しい使用例を噛み殺しました。

 

「本文もそうですけど、カバーもギリギリなんですよ。早く写真の候補を出してもらわないと。そこから写真決めてカバーラフ作って確認して修正して、ってやんなきゃいけないんですよ。スケジュール、もうマズイところまで来てるのわかってますよね?」

「……」

「で、いつまでにできますか? 今度こそ必ずできる日程はいつですか?」

「……そのあたりはもうプロにまかすわ。プロの感覚で決めてくれたらええわ」

 

(何がプロにまかすだ。そのプロが指定した締切を一度も守らず、プロが発する警告を無視しつづける人間がプロにまかすだと……)

 

「まかせてもらうのはいいんですが、こちらで進めたカバーラフを見て、これが違うだの、ここを変えたいだの言っても、それに対応している時間、もうありませんからね。こっちで進めていいんですね」

「……わかった。それでええわ。ええ感じの作ってくれたら、ええわ」

 

こうなったら仕方ありません。もうイチから全部こちらで作るしかない。

本来であればもらえるはずの写真ももらえず、カバーも振り出しに戻ってしまった私は打ち合わせの帰途、中央線から外を眺めながら、深いため息をつくのです。

 

(著者のキャラクターを表現して、書店店頭でインパクトをアピールできて、ええ感じのカバー……)

 

眼下に神田川が広がり、電車が御茶ノ水駅のホームにすべりこんだ瞬間、私の脳裏にあるシーンが浮かびました。

 

!!!!!

 

以前どこかで目にした、著者のバングラデシュでの活動シーンです。バングラデシュスラムの子どもたちに提供する食事を一生懸命作っているシーンです。

御茶ノ水駅から小走りで坂道をくだり事務所に駆け込んだ私は、大急ぎで机の中からDVDを取り出しました。この中には著者の活動の様子を収めた膨大な数の写真が保存されています。

 

あの写真、あの写真……。

 

 

あったぁぁああ!!!

 

 

こ、こ、これやぁ。

ええ顔やぁ。

ええ顔しとる。

ホンマええ顔しとるでぇ。

(つづく)