三五館シンシャ

怪しい男と怪しい女と怪しい男

倒産する出版社に就職する方法・第61回

 

――来ました。

見た瞬間、もう直感でわかりました。会ったことなくても、見たことなくても、間違いありません。アイツ以外ありえねえ、私の右脳がそう言っています。

JR上野駅、人ごみの中、ひときわ存在感を放つ人物が階段をくだり、改札に向かって歩いてきます。上着は白い作務衣風ジャケット、胸元が若干はだけています。髪は無造作に伸びたパーマ、はっきりとした目鼻立ち、足元は裸足にサンダル、手元には小さなキャリーバック……。職業不詳感がエグいです。平日の昼間、スーツ姿のサラリーマンが目立つ駅構内なら100メートル先から職質対象者認定いただけます。

一言でいえば、どうでしょう。そう、イキッてる。それ以上でも、それ以下でもありません。イキりが現世の人びとを救うため姿を変えてこの世に現れた「イキり権現」です。

 

「どうも、藤原です」

取り急ぎ、その場で挨拶だけを交わし、われわれ三人は近くの喫茶店へ向かうことにしました。喫茶店で席についても私はまだ警戒心を解けずにいました。

 

『全国まわって講演』『環境問題、社会問題を語る』『すごい人』……。

 

長澤氏から事前に聞いていた情報がふたたび頭の中をこだまします。

今、私の目の前にいる人物は、すでに長澤氏が共鳴し、今後話の流れ次第では共著者となるかもしれない。であれば、『買いものは投票なんだ』(仮)の編集者として、この人物を共著者としてもいいのかを判断する責任があるのです。

よしんば、「悪いカルマ」「ご先祖の因縁」「魂の浄化」「パワーのこもったお数珠いかがですか?」などのワードが飛び出たあかつきには、即刻この場で取り押さえなければなりません。私は依然、警戒心を解かないまま、藤原氏の具体的活動についての話を聞いていました。

 

ふむふむ。今着込んでいる作務衣のようなジャケットは、バングラデシュの民族衣装「パンジャビ」というもの。ふむふむ。日本からの注文を受け、現地で製造して正当な価格で販売することでフェアトレードを実現。ふむふむ、なるほど……。

 

私の横では、さっきからわれわれの話を聞いているのかいないのか、長澤氏がずっと自分のケータイをいじっています。

そもそもこの長澤氏、「書画家」を名乗っているものの、ふだん何をしているのか、まったくの謎です。成人手前の大きな子どもが二人いること、10年以上シングルマザーとして子育てしてきたことなどは聞いていましたが、何をして食べているのか、ベールに包まれたままです。じつに怪しい人物といえます。

 

いやちょっと待ってください。そんな話をすれば、「三五館シンシャ」などという意味不明の社名を名乗り、代表取締役を自称する、小汚いワイシャツを羽織っただけの丸坊主の男もまた怪しすぎます。たしかまだ幼い子どもがいたはずですが、前年の秋に勤めている会社が倒産し、しばし失業保険をもらっていたものの会社設立とともにそれも打ち切られ、今となっては何をして食べているのかまったく不明です。じつに怪しい人物といえます。

 

……。

 

怪しい人間が、相手が怪しいかどうか見極めようなどとは、怪しさの極みです。

こうなったら、私の怪しさとあの人の怪しさを交換するしかない。そう、これがフェアトレード。もう、おあいこなのです。

 

こうしてJR上野駅で、怪しい男と怪しい女が怪しい男を迎え、その約1時間後、怪しい男は怪しい女と怪しい男と怪しい出版社で本を作ることを決断したのです。

 

 

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

――フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』

(つづく)