倒産する出版社に就職する方法・連載第18回
2000年5月当時、三五館は編集部2名、総務部2名、営業部1名、そしてH社長という6名体制でした。ここに私が加わることになります。
このくらいの少人数でやっていますから、肩書きは編集部所属とはいえ、業務は雑務全般です。
まずは電話受けがその第一歩です。
第一歩ですが、単なる第一歩ではありません。三五館において、電話受けはそんな簡単なものではないのです。足に鉄球を括り付けられての第一歩なのです。
H社長はとにかく電話の受け方に厳格な掟を作っていました。
H社長いわく「電話受けは誰でもできるものではなぁぁい!」のです。
「この1本の電話が100万円の話かもしれなぁぁい!」のです。
H社長の掟は次のとおりです。
まず「元気に快活に出ること」。第一声で相手に暗い印象、不快な印象を与えてはいけないのです。
電話が鳴ります。
「はい、三五館でございます!」
なるべく明瞭に、快活に、元気よく――先輩社員からの教えを守りそうしたつもりでした。
しかし――。
「元気よぉぉく!!」
姿は見えません。
姿は見えませんが、私の席の後方に位置する、パーテーションで仕切られた小部屋からの大声が社内の空気を震わせました。
三五館が入居するフロアは入口から入り、奥に向かって縦長のスペースとなっており、その突き当たり一番奥がH社長の社長室でした。縦に20メートルほどの距離があり、社内での話し声や電話の受け答えもこの社長室までは届きません。
H社長の力を畏怖した三五館の村人たちは、村はずれに小さな祠を作ってH社長を祀ることにより、その怒りを鎮め、村の平穏を祈ったのです。
しかし、人民の願いむなしく、その結界が解かれるときがあります。
タバコです。
原則禁煙となっていた社内は社長室も例外ではなく、喫煙は会社の中ほどに位置する、空気清浄機が置かれた小部屋でのみ行なってよいことになっていました。
そしてこの喫煙室こそ、私のデスクのすぐ後ろだったのです。
社長室ではわからない電話の受け答えもここにはすべて筒抜けです。
それがH社長の求める水準にない場合、容赦のない叱責が飛ぶことになります。
1時間に数度、村はずれから結界を破り、こちらに近づいてくる巨大な影。封じ込めていたはずのもののけがぁ…。影はすうっと小部屋に吸い込まれていき、そこからかすかな紫煙が立ち昇るのです。村人たちのあいだには静かに緊張が走ります。
電話の作法、その2は「待たせるな」。コールは1回鳴ったあとに取ることが常識です。2コール目では遅く、3コール目なら緊急非常事態で、4コールとともにカタストロフを迎えます。
当然、いったん受けて、保留にしたあともできる限り早く対応せねばなりません。
電話が鳴ります。
「はい、三五館でございます!!」
電話に真っ先に出るのは新人である私の仕事です。
「かぁだです」
「かぁだ……さま……ですか?」(かぁだってなんだよ? かぁだなんて名字ねえよな)
「はい。Sさん、いますか?」
「かぁださま……ですか?」(ホントにかぁだなのかよ)
「はい、かぁだです。Sさんは?」
「……はい。少々お待ちください。……Sさぁ~ん、…………かぁださんです」
「えっ? 誰?」
「……たぶん、かぁださんとおっしゃっていると思いますが……」
「えっ? かぁださん?」
「……はい。かぁださんと聞こえたのですが……」
「かぁだ……かぁださん?……」
「遅ぉぉい!! 早よせい!!!」
姿は見えません。
姿は現しませんが、ふたたび私の背後の小部屋から怒声が社内に響きます。
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