倒産する出版社に就職する方法・第62回
2004年12月15日の午後。いつものように遅めの昼食を、たぶん新宿通り沿いのCOCO壱番屋だか吉野家あたりで済ませていたのだと思います、きっと。あのころの昼飯なんてたいていそんなものだったわけで、要はいつもと変わらぬ昼下がりのことでした。
三五館(当時)の社内でパソコン打っていると、私のデスクのちょうど斜向いに位置する編集部の先輩Nさんが外線電話を取り上げて二言三言話したあと、大きな声で私の名前を呼びました。
「たもりから電話……」
「はいっ!?」
「たもりから電話」
「た、も、り?」
「たもり、あの。森田一義アワーの」
たもりって、タモリ?
あのタモリから電話? 俺に?
なに、なんなの?
社内でふつうに仕事していたら、タモリから電話かかってくることなんてある?
明日のテレフォンショッキングのゲスト、俺なの?
なんか怖いんだけど。なに、イタズラ?
電話を受けたN先輩もなにやら緊張気味で、その表情からするに質の悪い冗談でもないようなのです。
「そう。『不食』の担当の人いるか、だって」
『不食』、正式な書名は『人は食べなくても生きられる』。2004年10月に三五館が刊行したハードカバーの新刊で、編集担当は確かに私です。
しかし、タモリが『不食』の担当に用とはいったいなんなのでしょうか。緊張しながら、電話に出てみます。
「お待たせしました。私が『不食』の担当ですが……」
「突然すみません。あの本を読みまして、私もあそこに書かれているような内容に個人的に興味があるものですから。可能であれば、著者にお会いできないかと思いまして……」
間違いありません。あのタモリです。「笑っていいとも!」よりいくぶん低い「タモリ倶楽部」よりいくぶん低いトーンではありますが、まごうことなきタモリです。
タモリと話している……。
突然、日常に非日常が殴り込みをかけてきて、あまりの現実感のなさに、タモリと話している私をもうひとりの自分が呆然と眺めているような感覚すらしてきます。
「承知しました。著者に確認した上で折り返しお電話差しあげますので、ご連絡先を頂戴できますでしょうか?」
そう伝えると、タモリさんは「この番号は●時から●時のあいだしか電源を入れていないんですが……」と断ったうえで、「連絡はこちらにお願いします」と携帯電話の番号を知らせてくれました。
「タモリ……なんだって?」
私に電話を回したあと、ずっとこちらを見守っていたN先輩が興味津々といったふうに尋ねてきます。
2000年に三五館に入社してこのとき5年目を迎える私は、自分が作った本をタモリが読んで著者に会いたいと連絡してきた事実に急に誇らしげな気持ちが湧いてきました。駆け出し編集者が急にいっぱしの何者かになれた気がして、先輩のNさんにも、もったいぶってこう答えるのです。
「ああ、タモリさんですか? タモリさん、『不食』に関心があって、著者の連絡先を知りたいそうなんですよ、ええ」
私はタモリから直々にお願いごとをされた人間です。こうなればもうタモリではなく、タモリさん。「いいとも増刊号」を楽しみするだけのイチ視聴者であるN先輩、あなたとはすでに同じ地平になどいないのです!
興奮冷めやらぬ私は、芸能人からの電話など日常茶飯事に受けている一流出版社の編集マンを装い、きわめて落ち着き払った態度で、著者にタモリさんからの連絡を伝えます。
「おお、そうか!そりゃすげえな。すぐ教えてやってくれよ」
著者・山田鷹夫氏からの天真爛漫すぎる快諾を得た私は、タモリさんのケータイに折り返し、著者の連絡先を伝えました。
そもそもタモリさんが目をつけ、著者に会いたいと連絡までしてきた奇書『人は食べなくても生きられる』とはいったいなんなのでしょうか?