倒産する出版社に就職する方法・連載第17回
(第13回からの続き)
かくして私は、2000年のゴールデンウイーク明けから、アルバイトとして三五館編集部に加わることとなりました。
言い渡された採用条件は、「社会保険なし、残業手当なし、月20万円」だったと記憶しています。
えっ、そんなにくれるのかよ?
就職活動に失敗し、心のひとつもわかりあえぬ大人たちを睨み、家を出てアルバイト生活をしていたころ(連載第2回で実家を出て、第7回で再就職活動始めるまでの空白の1年)、複数のアルバイトを掛け持ちしていました。
その経験からいって、「平日無給で編集職、土日バイトで生活費稼ぎ」生活が可能なことを知っていた私は、出版社の面接で「給料要らないから入れてくれ」と懇願していたわけです。
編集ができるのであれば、給料は別で稼げばいい――当時、本気でそう思っていた私にとって「給料20万円」なんて、「年利250%のルワンダ国債をあなただけにご紹介」とおなじくらい甘い話ではありませんか。何かの罠?
そりゃ仕事ですし、会社員ですから、金もらうのは当たり前なのですが、「編集やって金もらえる」って、なんて贅沢な話なのでしょう。
当時の私は真剣にそう思っていました。そして、意外に今でもなお……。
「編集という仕事をできる喜び」
このときに感じたこの感覚が、膵臓か脾臓か腎臓か所在地は定かではありませんが、私の腹の中にずうっと存在しているのです。
たとえば、三五館時代、校了間際の徹夜作業でヘロヘロになったときとか、著者やH社長との軋轢でうんざりしたときとかに、どっかの臓器からなんかの液みたいなのを放出するんですね、こいつが。
で、その液が血管か何かを通って、大脳か何かに到達する。すると、脳神経系に作用して心身の働きを一時的に活性化させる、と。やばいクスリとおんなじ作用でしょう、きっと。
三五館シンシャやろうと決めたときも、どういうわけか、この液が大量に放出されていまして。今までになかったくらい。とめどなく。それで心身喪失状態だったものですから……。法的に責任能力はない、ということで是非……。
そんなわけで、ついに私も憧れの編集者です。
「編集者……」
意味もなく口に出してみたり。
「編集者 今日から俺も 編集者」
一句詠んでみたり。
そもそもはたいした目的意識もなく、なんとなく始めた出版社への就職活動だったわけですが、じつに2年間を経、不合格をくらいつづける中で、私にとって「編集者」というのが、手の届かない、はるか彼方にある、いわば憧れの存在になっていたのです。
追いかけて手の届かないものが美化されていくのは世の常で、「編集者」像は特別に輝いていました。
名刺を初めてもらったときの感激たるや。
いったん机の引き出しにしまって、すぐ取り出して、矯めつ眇めつ。
あるときは合コンで「編集者です」「へぇ~」……ううっ、快感ッ!
「へぇ~」しか言うことないわけですよ、女の子だって。知りもしない出版社ですし。「だから?」と思いながらも、とりあえず「へぇ~」と。
でも、嬉しいから、それを言いたくてしょうがないのですね。
当時の私にとって「編集者」というのはそういうものだったのです。
何者でもない自分を、何者かにしてくれる何か。
若気の至り。
猛暑のみぎり。
恥と暑さで汗顔の至り。
とはいえ、憧れの理想像と現実とは別物なのです。
金日成とか金正日の銅像をご覧ください。目なんかちょっと大きめでキラッキラしてて、鼻筋も通っていて体型も心持ちスラッとして、足も長けりゃ背も高い……。
もちろん実物じゃないとはいえないけど、決して実物ではないわけです。
現実とは、首のところにでっかい瘤があったり、アフロ気味の頭髪が相当薄くなってきたりしているもののほうなのです。
そして、人生とは日々、現実と向かい合っていく旅路なのです。
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