三五館シンシャ

当たり屋就活記……S社との邂逅

倒産する出版社に就職する方法・第7回

 

オッス!オラの相棒、グラストラッカービックボーイ! 連載のつながりとか時系列とか起承転結とか完全無視して、過去と現在を自在に行き来できるすげえやつなんだ。心が清くないと乗れねえけどな。頼むぜ相棒。そんじゃ、ここまでの流れを無視して2000年4月にレッツゴー!

 

 

出版社設立資金300万円貯金を目的としたアルバイト生活を2000年3月いっぱいで打ち切った私は、再び出版社に入る決意を固めます。

「人生は短い。このアルバイト生活をあと数年か続けたのち、徒手空拳で出版社を立ち上げるよりも、既存の出版社に入ってイチから修行すべき」

(この結論に到達するために1年……清すぎる心)

 

毎週、朝日新聞の日曜・月曜に掲載される出版社の求人広告見て、一社ごとに手書きの履歴書作って郵送してしばしその返答を待って……なんてまどろっこしいことはもうやめたのです。人生は短い。

 

求人がないなら――こっちから電話すればいいじゃない!

 

とりあえず、こっちからぶつかっていく。

この当たり屋方式です。

 

『マスコミ就職読本』(創出版)のページを繰りながら……そもそも給料も休みも必要ないと思っていたので、条件は人文書を中心に多様な本が作れそうなところ(あと、突然電話して代表につながる、セキュリティーの甘そうなところ…)。

該当する出版社にめぼしをつけていきます。

 

いちばん初めは、少々硬派なノンフィクションから、結構軟派なエッセイまでを守備範囲としていたE社。当時、10名弱だったはずです。

代表番号と代表者名を調べて、伝えるべき事柄を手元のメモに記して……このダイヤルが出版業界への直通番号のような気がして、胸をつきあげる緊張感を飲み下すように一息ついてから、さあ電話です。

 

「お忙しいところ、突然の電話、申し訳ありません。私は大学4年次の就職活動で出版社をめざしましたが、その願いかなわず、その後、1年就職浪人をしておりましたが、出版社に入るということがあきらめきれませんで……」

一気に伝えます。

 

「あの、ぜひいちど、短い時間で構いませんので、お会いできればと……」

 

突然の電話にもかかわらず、E社K社長のアポ取りは成功。

約束の日までに「私が作りたい本」の企画書10本を用意し、就職活動以来1年ぶりにスーツを引っ張り出し、E社を訪れた私は、おおよそ1時間にわたり、就職活動の失敗とその後の経緯、そして出版への思いの丈を伝えます。

採否の判断はその場でいただきました。

 

同社が刊行した何冊かの書籍を手土産に帰途につきます。

帰りの電車で、面談でのやりとりを反芻します。

あそこでああ言えば何か活路を見いだせたろうか、もう少し自分をアピールする方法があっただろうか…。

今、振り返れば、アポを取った時点から、そこに入口はなかったのかもしれません。

 

それでも、就職活動に連戦連敗していたときの息苦しさは皆無。そもそも募集もしていないところに無理やりに押し掛けているのはこちらなわけですし、なによりはるか彼方に朧にみえるだけだった出版業界に、ついさっきほんの一瞬でも指先がかかったのです。

岸壁に爪を立てて力を振り絞れば、泥濘に沈み、このまま抜け出せないかと思っていたわが身を引きあげられそうな気がする――。

 

E社面接の翌日、続いて人文書系の硬派出版社G社に電話します。こちらは当時5名程度だったと思います。こちらもK社長自らが応じてくれました。

日時を指定され、企画書を持参してお会いして話をして……でも結果はダメ。

「あなたのやる気はわかりますよ。今時、出版にそんなに情熱を持っている人がいるのは嬉しいことです。でも出版不況でうちも人員は最小限でやっているので…」

 

あと数社、代表番号に電話して、代表を呼び出し、ほんの少しでいいから話を聞いてほしいと懇願し、お会いいただき……それでも結果は同じ、理由は似たようなものです。

 

今、私のところに同じような奴が訪ねてきたら……?

時間をくれと言われれば会いましょう。

出版に対しての思いの丈も聞きましょう。

頑張れと励ましましょう。

が、その後は、E社、G社……の経営者の方々と、同じ対応をするでしょう。

 

 

人を雇うだけの余裕がない。

イチから教えていく時間がない。

そもそも未経験。

どうやら可愛げない。

なんだか偏屈そう。

確実に変わり者。……誰がよ?

 

 

「さあ、もう一丁!」

電気のトラブルで生まれ変わったせいか全然めげない青年は、再び次のダイヤルを押します。

 

03、3226、、、00、、、、、35

 

今はもう通じなくなってしまった番号。四谷のS社、つまり三五館です。

 

ここの代表、H社長という人物については、出版業界に足を踏み入れたこともない一読者にすぎない私もいくつかのことを知っていました。

椎名誠の『さらば国分寺書店のオババ』(読んでた)、村松友視の『私、プロレスの味方です』(読んでた)、藤原新也の『東京漂流』(読んでた)を手掛けた編集者であること。

 

それだけではありません。

椎名誠が1980年近辺のどかどかについて綴ったエッセイに次のようなくだりがあります。

 

 

夜更けにH編集長がやってくる。彼の出版社は若い人が多く、午前一時二時までの残業などザラであった。十二時すぎると編集室に演歌を流し、ビールやウイスキーをのんでもいいことになっている。(略)

なんとなくH編集長がやってくるのを心待ちにしていたその日、午前三時をすぎても電話がない。少し迷ったが編集部に電話してみると相棒のO営業課長が出た。

「編集長はいないのですか?」

「え、ええ、いまはおりませんで」

「じゃあ、もう家に帰ったのですか?」

珍しいこともあるものだと思ってさらに聞くと、家に帰ったわけではない、と言う。(略)

「ねえOさん。どうしたの? 彼の身に何かあったの? なにかヘンだよ。本当のことを言ってくれないと!」(略)

「あの、あのエートですねえ。実を言いますとHは昨日逮捕されまして……」

「え? なんだって、タイホ!?」

「ええ、タイホです」

O課長はすっかり情けない声になっていた。

そのあと少々時間をかけて聞いたところ、逮捕の理由は喧嘩らしい、とわかった。

昨夜遅く、家に帰る途中、山手線のガードの下でどこかのチンピラ三人組といきなり喧嘩になり、なんとまああろうことかHガニマタ編集長はその三人組をことごとくぶっとばし、一人には怪我までさせてしまったので、彼だけブタ箱に入れられたのである。

――『新宿熱風どかどか団』(椎名誠、朝日新聞社。読んでた)

 

 

このH編集長こそ、三五館のH社長です。

 

どーよ、これ?

S社、やばくね?

(つづく)


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